類義語をめぐる国際論争の例

過剰(?)な類義語の中から適語を選択することの難しさは、個人の表現のレベルだけにとどまらない。大きなことでいえば、国際的な交渉を英語の文書に 残そうと するとき、関係者全員が合意する用語を確定することは、時にはなかなか大変なことになるようである。一例として、1980年代の日米貿易協議の過程で 起きた用語論争について、 米国側当事者が書いた次の一説をみてみよう。(グレン・S・フクシマ 『日米経済摩擦の政治学』 から)

英語では obstacles のほうが barriers より強い語感を持つというなら、米国側にとっては obstacles のほうが好都合ではないかと思う のだが、 なぜか米国側は obstacles を承認しなかった。ということは、米国側は、日本市場には obstacles ではなく barriers と呼ぶにふさわしい もの があると考えたのであろう。

barrier には、語源の「bar=横木」から直結する「柵」という意味もあり、この意味が喚起する意図的、人為的、排他的、構造的なイメージが 強いのだろうか。barriers が適語であるとする米国側が、obstacles では納得できなかったのは、obstacle が、ときに意図的でなく、 人為的でも、構造的でもない、偶然的なものも含む語であるからだろうか。

ちなみに、Cobuild English Dictionarybarrier の第一義として、something such as a rule, law, or policy that makes it difficult or impossible for something to happen or be achieved をあげていて、Duties and taxes are the most obvious barrier to free trade.という例文まで 載せている。

barrier は外来語として日本語の中にも定着していて、小学生でもバリアーは「囲いのようなもの」として理解するだろう。日本側としては、日本市場に barriers がある、すなわち日本は外国に対して barriers を築くような閉鎖的な国だとは認められない、しかし米国側にとって obstacles にみえるものがあるというのなら認めても良い、ということだったのだろうか。

日本側は、barriers を嫌い obstacles に固執する理由として訳語のことを言っているが、これはいささか不思議である。barriers を 「障害」と訳すこと に何の障害もないし、現に barriers の訳語として「障害」をあげている英和辞典はたくさんあるからだ。日本側の本音は、英文で、日本市場に barriers があるという公式記録が残されることに対する警戒感ではないだろうか。

さて、この議論は、impediments という語を採用することで決着した。先の barrierobstacle はラテン語起源で、フランス語を経由して 英語に入ってきた外来語であるが、同じような頻度で日常頻繁に使われる語だといえよう。これに対し、impediment はラテン語が直接英語に輸入された ものである。何時間も費やした末、使用頻度がより低く語感のかたい語が、双方の溝を埋める語として選択されたのである。obstacles を嫌った 米国側も、barriers を拒否した日本側も、impediments なら妥協できたというのは、 語彙研究の上でも興味をそそられるところである。

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類義語の問題はさらに、次のような類似表現の問題にも広げることができるだろう。

マーク・ピーターセン『日本人の英語』によれば、「上野動物園のパンダ」を表す the pandas of Ueno ZooUeno Zoo's pandasUeno Zoo pandas では、それぞれニュアンスの違いがあり、以下の三つの文で「上野動物園のパンダ」が書き分けられているのは、このニュアンスの違いに もとづいているのだという。

ここで思い出されるのは、H.ブラッドリの不朽の名著『英語発達小史』(寺沢芳雄訳)の中にある次の部分だ。

's で表す所有格は、名詞の属格を表す語尾から発達した本来的な表現法であるが、of を使う所有格はフランス語の影響だといわれている。 le fils de David (ダビデの息子)に対応する the son of David という英語表現は12世紀頃から一般的になったが、David's sonという形も なくならなかった。共存するこの二つの形式の差異について、「外国人には理解し難い」と突き放されたらとまどうが、上掲の『日本人の英語』には解説があるから 一読をすすめたい。