mesmerize の註から
『青鞜』創刊の辞に登場したメスマー
あまり知られていないことかもしれませんが、メスマー は、催眠術を「学者たちの真面目な研究問題」にした人物
として、『青鞜』創刊(明治44年)の辞のなかに登場 します。
『青鞜』は、平塚らいてうが、芸術に志した女性に発表の機会を与えるために作った雑誌です。発刊に際して書かれた、「元始、女性は
実に太陽であった。」に始まる文章は、女性の解放を高らかに宣言したものであると一般には考えられているかもしれません。しかし
原文を読むと、自由への道が多難であることの自覚におののきながら、必死に自分を鼓舞している作者の孤独な心境が痛いほど感じられるもの
になっています。
らいてうは、女性は今では「他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月」になってしまっていると言い、本来の太陽を取り戻し、真正の
人になるべきだと主張しました。真正の人とは自分の光で輝く人、すなわち、自分の中に「潜める天才」を発現する人だというのです。
らいてうは、女性が自立に向けて進むのを妨害する主要なものは、「外部の圧力」や「知識の不足」ではなく、女性自身が自分の天才を信じず、その発現に精神を
集注しない事であると述べています。そして、並みの精神集注ではなく、「祈祷の極」のような集注が必要だと主張しました。その集注の境地は、自己忘却、無為、
恍惚、虚無、真空にもたとえられていて、そのような無念夢想の精神状態が、内なる天才の発現につながるとされました。
しかし時代は、男子の普通選挙権さえ認められていない明治末期です。「家事に従事すべく極め付けられていた女性」に潜める天才があり、熱烈な集注力があれば
その天才を発現できる、などという主張がまともに相手にされないことは、らいてう自身がよく知っていたことでしょう。
それでも、この主張に正当な根拠があることを示したい、そこで持ち出されたことの一つが催眠術でした。
潜める天才について、疑いを抱く人はよもあるまい。
今日の精神科学でさえこれを実証しているではないか。...もはやかの催眠術、十八世紀の中葉、墺国のアントン・メスメル氏に起源を発し、
彼の熱誠と忍耐の結果、ついに今日学者たちの真面目な研究問題となったかの催眠術を多少の理解があるものは疑うことは出来まい。いかに
繊弱い女性でも一度催眠状態にはいる時、或る暗示に感ずることによって、無中有を生じ、死中活を生じ忽然として霊妙不可思議ともいうべき偉大な
力を現すことや、無学文盲の田舎女が外国語を能く話したり、詩歌を作ったりすることなどはしばしば私どもの目前で実験された。
メスマー の治療法はその意図するところを超えて、人間の無意識の世界をセンセーショナルな形で世間に広く示し、後世にも大きな影響をあたえました。
それは、はるか極東の「大日本帝国」で、人間の「真の自由、真の解放」への道を模索して苦悩していた人にも、
大いなる暗示をあたえたといえるでしょう。
単語の語源を調べていくと、このように、思いがけない歴史と出会う時があります。そういう体験をしながら語彙を増やしていくのも、英語学習の楽しみの一つでは
ないでしょうか。