ラテン語の教養・漢文の教養
実に今回のバッタ事件及び吶喊事件は吾々心ある職員をして、ひそかに吾が校将来の前途に危惧の念を抱かしむるに足る珍事でありまして、吾々職員たるものは
この際奮って自ら省みて、全校の風紀を振粛しなければなりません。それで只今校長及び教頭の御述べになった御説は、実に肯綮に中った凱切な御考えで私は
徹頭徹尾賛成致します。どうかなるべく寛大の御処分を仰ぎたいと思います。
古典の素養がないと知的な内容を弁ずるのが難しいことを示す好例が、我が近代文学にもある。夏目漱石の 『坊っちゃん』 である。バッタ事件
をおこした寄宿生の処分をめぐる職員会議を思い出してほしい。
件の職員会議で坊っちゃんは、事なかれ主義の狸(校長)や赤シャツ(教頭)に反論しようとして、心のうちで腹案を作り始める。ところが
野太鼓(画学教師)が立ち上がり、日ごろの芸人風「・・・でげす」口調を返上して、立て板に水のごとくゴマスリ演説を始めた。
まずは、この野太鼓の台詞をみておこう。
野太鼓の云う事は「言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列するぎりで訳が分らない。分かったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ」と思った
坊っちゃんは立腹して、腹案ができないうちに起ち上がってしまう。坊っちゃんの言動を見てみよう。
「私は徹頭徹尾反対です.....」と云ったがあとが急に出て来ない。「......そんな頓珍漢な、処分は大嫌です」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体
生徒が全然悪るいです。どうしてもあやまらせなくっちゃあ、癖になります。退校さしても構いません。......何だ失敬な、新しく来た教師だと思って......」と
云って着席した。
ほかの教師たちが次々に教頭の穏便説に賛成していくなかで、最後に起立した山嵐(数学教師)が反対表明をする。
私は教頭及びその他諸君の御説には全然不同意であります。と云うものはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏を軽侮してこれを翻弄しようと
した所為とより外には認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物如何に御求めになる様でありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直に
あたられたのは着後早々の事で、未だ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃であります。この短い二十日間に於て生徒は君の学問人物を評価し得る余地がないので
あります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加える理由もありましょうが、なんらの源因もないのに新来の先生を愚弄する様な
軽薄な生徒を寛仮しては学校の威信に関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、
野卑な、軽躁な、暴漫な悪風を掃蕩するにあると思います。もし反動が恐ろしいの、騒動が大きくなるのと姑息な事を云った日にはこの弊風はいつ矯正出来るか知れま
せん。かかる弊風を杜絶する為にこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃す位なら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生
一同を厳罰に処する上に、当該教師の面前に於いて公に謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます。
正に熱誠他を圧する名演説といえよう。冒頭での鮮明な立場の表明、生徒に全面的な非があることの論証、教育の理念に照らして生徒を厳罰に処すべきだという
主張、さらにその具体策の提示、という内容が、適材適所の語を駆使して語られたのである。このような弁論術を山嵐はどこで習得したのだろうか。
昔しの書生は、笈を負ひて四方に遊歴し、この人ならばと思ふ先生の許に落付く。故に先生を敬ふ事、父兄に過ぎたり。先生もまた弟子に対する事、真の子の如し。これで
なくては真の教育といふ事は出来ぬなり。今の書生は学校を旅屋の如く思ふ。金を出して暫く逗留するに過ぎず、厭になればすぐ宿を移す。かかる生徒に対する校長は、
宿屋の主人の如く、教師は番頭丁稚なり。主人たる校長すら、時には御客の機嫌を取らねばならず、いはんや番頭丁稚をや。薫陶所か解雇されざるを以て幸福と思
ふ位なり。生徒の増長し教員の下落するは当前の事なり。
この演説を特徴付けることの一つは、軽侮、翻弄、所為、愚弄、軽薄、掃蕩、弊風、等々の漢語の絶妙な使い方だろう。これらの語をすべて和語に置き換えて、なお
同じように効果的な弁論を構成できるとは到底思えない。ラテン語借入語をすべて排除して、知的で公的な内容を扱う英文が考えられないのと同じような事が
日本語でもいえるのだ。
山嵐が豊富な漢語を自由に繰ることができたのは、当時の多くの知識人と同様に、漢籍の素養が血肉として身につくような環境に育ったからではないだろうか。
ひるがえって、われらが坊っちゃんの生育環境はどうだろうか。彼の両親はどう考えても坊っちゃんの教育に関心を持っていたとはいえず、可愛がってくれた清は残念
ながら教育のある人ではない。おかげで坊っちゃんは「学問は生来どれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平御免だ」ということになり、
弁舌を磨く事には一向関心をもたないままに成人となった。そして、公の場で知的に話すのにふさわしい言葉としての「標準語」を使えないまま、教師となった。
坊っちゃんは教場で、巻き舌のべらんめい調で講釈して生徒を煙に巻いたつもりでいる。だから、「もちっと、ゆるゆる遣っておくれんかな、もし」と生徒から言
われても、からかわれていることに気づかない。職員会議でも、おそらく前代未聞の「頓珍漢な」というベらんめーを披露して失笑を浴びるが、「こんな手合いを
弁口で屈服させる手際」はないのだから、これ以上しゃべるものか、生徒にあやまらせるという要求が通らなければ辞職するまでだとすましたものであった。
とはいえ、坊っちゃんは山嵐の演説に感動する。「おれの云おうと思うところをおれの代わりに山嵐がすっかり言ってくれた様なものだ」と。やはり本心は、できたら
自分の舌で大いに弁じたいということだろう。東京に舞い戻った坊っちゃんは、街鉄の技手になる。今度は一家を構えて清を扶養する立場である。かんしゃくを起こして辞職する
わけにはいかない。故郷の町で彼は、べらんめいとは別の、職や地位にふさわしく、それでいて「母語」たるべらんめいとも響きあうような、新しいもう一つの
「舌」を獲得するのではないだろうか。
ところで作者漱石には、愛媛県尋常中学校の『保恵会雑誌』の依頼で書いた「愚見数則」という文章がある。筆者はこれが山嵐の演説の原型ともいえると
思うのだが、如何だろうか。明治中期の知識人で、漢学にも洋学にも通じていた人の文体を覗いてみることも、ラテン語と英語の関係を考える上で参考になる事がある
と思われるので、以下に一部を引用する。
教師は必ず生徒よりえらきものにあらず、偶誤りを教ふる事なきを保せず。故に生徒は、どこまでも教師のいふ事に従ふべしとはいはず。服せざる事は抗弁すべし。
但し己の非を知らば翻然として恐れ入るべし。この間一点の弁疎を容れず。己れの非を謝するの勇気はこれを遂げんとするの勇気に百倍す。
狐疑する勿れ。躊躇する勿れ。驀地に進め。一度び卑怯未練の癖をつくれば容易に去りがたし。墨を磨して一方に偏する時は、なかなか平らにならぬものなり。物は
最初が肝要と心得よ。
世に悪人ある以上は、喧嘩は免るべからず。社会が完全にならぬ間は、不平騒動はなかるべからず。学校も生徒が騒動をすればこそ、漸々改良するなれ。無事平穏は
御目出度に相違なきも、時としては、憂ふべきの現象なり。かくいへばとて、決して諸子を教唆するにあらず。むやみに乱暴されては甚だ困る。
理想を高くせよ。敢て野心を大ならしめよとはいはず。理想なきものの言語動作を見よ、醜陋の極なり。理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし。理想は見識
より出づ、見識は学問より生ず。学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学でいる方がよし。