=====解説=========

ジョーンズ William Jones

イギリス人。1746年にロンドンで生まれた。オックスフォード大学で法律を学ぶ。当時から語学の達人として知られ、ギリシャ語、ラテン語は勿論、イタリア語、 スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、さらにヘブライ語、ペルシア語、アラビア語も習得した。

考古学、天文学、植物学、歴史、文学、宗教などにも関心をもち、1784年にベンガルの最高法院の判事としてインドに赴任すると、職務以外の自分の時間を幅広く インドに関する研究に費やした。特にサンスクリットの研究に情熱を注ぎ、このインドの古典語が、ギリシア語や ラテン語と酷似していることを指摘し、これらの言語に 共通の祖先語があることを示唆した。この発言が、のちに比較言語学という大きな分野に発展する学問の出発点となった。 ジョーンズが、近代言語学の父 ( the father of modern linguistics ) と呼ばれるのはこのためである。

「共通の祖先語」 というジョーンズの発想は、第一には、ラテン語からロマンス諸語が生まれたという歴史的事実からきているのだろうが、彼がリンネの分類学を学んでいたこと とも関係するようである。植物界では同一種の中から環境の変化に応じて新種が生まれるという知識も、ジョーンズの言語観に啓示を与えたと考えられるのである。 これは今日の我々にもあらためて、学際的研究の重要性を示唆することではないだろうか。

また、若いころからペルシア語やアラビア語を熱心に学んでいたことからも明らかなように、ジョーンズがアジアの文化に対して、植民地支配者的な関心という だけではおさまらない、より深い共感的関心を持ち、ヨーロッパ人の優位性信仰から比較的自由だったことも、彼の発見を可能にした要因の一部であろう。

ジョーンズは48才で病に倒れ、「正当に蓄えた金額」を持って故国に戻り、妻とともにつつましい田舎生活をする夢を絶たれた。過酷な気候のもとでの、長年の重責 を伴う職務と、学問の女神に魅入られたように続けられた研究から来る過労が、彼の肉体を追い詰めていたと思われる。遺体はカルカッタに埋葬された。

   ジョーンズの伝記から