英語史の初歩 • その2
英語の語彙も大きな変化を遂げた。この変化は主として、ノルマン征服(the Norman Conquest)以降にフランス語が、
ルネサンス期にラテン語やギリシア語が、それぞれ大量に借入されたことによる。
これは、生きた動物を飼育するのがイギリス人の農民牧夫であるのに対し、調理された肉を食べるのがフランス語を話す上流階級だった
ことに由来するとも言われている。
さてしかし、語彙の複雑化ということでいえば、類義語が増えた事例に注目しよう。大量のフランス語の流入によって、多くの同義の本来語が廃用になったが、
類義語として共存関係を維持していくことになるものもあった。例えば14世紀に infant という語が借入され、ほぼ child と同義の語として広く
使われたが、child という本来語も生き残った。このような例を少しあげてみよう。
一般的に本来語(左側)のほうが簡潔で日常的であり、フランス語起源の語(右側)のほうが改まった感じであることが多い。
しかし might と power、wed と marry のような場合では、借入語のほうがかたい感じであるとはいえないだろう。
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イギリスでは、一世紀に及んだフランスとの戦いに敗北したあと、ばら戦争が起こり、この内乱で諸侯や騎士階層が没落すると、絶対王政のもとでルネサンス文化が栄
える。古典研究に刺激された知識人たちによって、たくさんの古代ギリシャ、ローマの作品が翻訳された。これらの書物は活版印刷によって流布したが、その対象は
ラテン語の素養を持った読者だったため、様々なラテン語が翻訳されずに英語のなかに入ってきた。
こうして以下のような、三つのレベルから成る類義語の組み合わせが数多く見られるようになり、英語の語彙は複雑の度合いを増すことになったのである。
英語の語彙が混血的なものに変貌していくことに対して、イギリス人の中から反発が起こらなかったわけではない。
例えば、「金ピカ語 aureate terms」と非難された語があった。これはチョーサー(1343年-1400年)の信奉者たちが好んで使った、主としてラテン語からの借入語
を指していて、このような語は文を華麗に装うためだけに使われているという非難であった。確かにこの時期には新奇で装飾的な語が多数あらわれ、その多くが廃れて
しまったが、例外もあった。チョーサーも使った、laureate、mediation、oriental などは当時は「金ピカ語」と非難されたが、今では必要な語
彙の一部だといえる。add、commit、create、direct、formal、fortunate、manifest なども14世紀には目新し
い語であったが、現在では日常語である。
ルネサンス期にはまた、多くのラテン語が、衒学ぶった「インク壷語 inkhorn terms」とも非難された。実際、難解すぎて廃れてしまった語も多かったが、一方では、
何度も使われるうちに徐々に定着し普通の英語となったものも多い。auction、education、expect、fact、insane、
opponent、success、sympathy、urge、vacuum などの語は、16世紀のイギリス人にとってはなじみのない新語だったが、
今日では日常的な語である。
外来語に対する非難で面白いのは Sir John Cheke(1514年-1557年)の場合だろう。チークは、古典学者であるにもかかわらず借入語を嫌い、英語の本来語だけで福音書を
翻訳しようとした。彼は「狂人」を表すのに、すでに受け入れられていた lunatic という、フランス語経由のラテン語の借入語を使わず、mooned という語
を使った。同様に、prophet「預言者」の代わりに foresayer、parable「寓話」の代わりに byword、resurrection「復活」の代わり
に gainrising など、すでに使われている借入語に対して、本来語製の訳語で対抗しようと試みたのだが、これらは普及しなかった。
栄光の古典文化の知恵に預かることで、フランスに負けない文化を作ろうというルネサンスの熱気の中では、古来からの自前の言葉だけでやっていこうと考えるのは
あまりにも偏狭な時代錯誤だったのである。
その後も、英語をアングロ・サクソン的な言語として守るために、外来語を排除しようとするような運動は成功しなかった。外来語の導入は母語の語彙不足を補い、
英語を文化的言語にするために不可欠だと考えられた。それは国民意識の高揚と矛盾するものではなく、母国語としての英語をより豊かなものにしようとする熱烈な
気持ちの表れでもあったのである。
ところで、英国ルネサンスの花というべきシェイクスピア劇の上演で知られる地球座が、ロンドンに建設されたのは1599年のことであり、翌1600年には東インド
会社が設立され、1607年には北アメリカ東岸に最初の植民地ヴァージニアがつくられた。イギリス人がヨーロッパの片隅の島国から出て、世界各地へ植民活動を
始めた時、力強く変貌を遂げた英語も、ブリテン島の中だけに通用する言語から、世界共通語への長い旅を開始したのである。
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さて、上述の国語浄化論者チークが試みたように、本来語を組み合わせて新しい語を作る方法は古来からの伝統でもあった。
この造語法が類義語を増加させ、
語彙を複雑にしている事例を見てみよう。
outgrowth「結果」という語が作られたのは19世紀であるが、この語の要素である out と grow は古英語でも使われていた語である。
「結果」という意味の語としては、既に14世紀に、consequence や effect がフランス語もしくはラテン語から借入されていたが、17世紀にはラテン
語起源の result も入って来て普及した。19世紀には、本来語の組み合わせである outcome も「結果」という意味で使われるようになった。今日では
以上の語はすべて類義語として共存しているが、このグループにはさらに、古英語の要素から合成された upshot や aftermath を加えることができる。
このような例をもうひとつあげる。upset は15世紀に作られた語であるが、この語の要素である up と set は、古英語でも使われていた本来語で
ある。この合成語 upset が「動揺させる」という意味を持つようになったのは19世紀初頭ごろだった。この時点で英語には「動揺させる」という意味の語とし
て、agitate、bother、disconcert、disquiet、distress、disturb、fluster、perplex、trouble、
unnerve、worry などがあった。このうちの worry は本来語で、fluster も、語源ははっきりしていないがゲルマン的な語のようで
ある。bother も語源不詳で、アイルランド出身の作家たちが18世紀に使い始めて英語に定着した。そのほかの語は全てフランス語あるいはラテン語からの
借入語である。19世紀にはさらにこの類義語グループに、擬音語からの発達とおもわれる rattle という語も加わった。こうして「動揺させる」の英語類義
語は、外国語として英語を学ぶ立場の者を「動揺させる」させるほど複雑なことになっているのである。
英語の語彙が豊富な類義語を持つようになったことは、英語を母語とする人々にとってはおおむね喜ばしいことであろう。多彩な類義語の使い分けによって、感情や思想
の微妙な違いを表現できるようになったからである。しかし外国語として英語を学ぶ者にとっては、違いがはっきりしないまま似たような意味の語をいくつも覚えなけれ
ばならず、いざ英語を使って発言する段になると、どの語がその場にふさわしいのかなかなか決められないというやっかいなことになる。
文法的側面から見れば、相対的な単純さという点で英語は学びやすい外国語といえるが、語彙の面ではなかなか複雑で、外から学ぶ者にとって
はこれは難点といえるだろう。
類義語をめぐる論争の例
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